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 善福寺川にかかる、相生橋。幅を拡張して、花を植えたのは、10年以上前、向こうに新しい、団地ができている。このあたりは、私が小学校の頃には、雑木林と水田の、武蔵野でした。国木田独歩の作品に、載っていそうな場所は、昆虫の採集者であった私には、日光に住み、実家の杉並に、年、4回は来る、ライフサイクルで、片道でも、子供の体力では、大変でしたが、低地の昆虫がいることが全てでした。小3から、蝶の展翅を、ここでは、ジャノメ、キタテハ、アオスジアゲハには気づいていましたが、ゴマダラの多産には気づいていませんでした。

 中学から、単身、祖父母に厄介に、こちらの学校へ。できた友人の言う、クワガタの生息部位は、かなり異なっていました。栗の根元を掘る行為は、若干のいらだちを、子供の方法ということに、気づかず、多少でない優越にいたことは成績のこともあって、重要でしたが、ある友人と、五日市へ、サンショウウオの採集へ、このとき、東京の蝶が飛来、今度は再度の蝶の採集へ。

 ここでは、萩にルリシジミ、同じくダイミョウセセリ、藤棚にはアオスジが。ここでは、イトトンボ、やシオカラが多産。昆虫層は厚かったのですが、友人の誘いで、脚を伸ばして、東丹沢へギフチョウを狙う事に。もう、高一で、石砂山で、ギフチョウを採集、キャラクターの差はあっても、脚は更に、アルプスへと向かいました。

高山蝶は、こうして採集することに、南北のクモマツマキを採集。非常に苦しかったが、大学卒業後も、たまに採集。


NIKOMATとCANONで、撮影を何度も敢行だが、結局、ろくな写真はない。

航空部にいたこと、を隠しながら、続いた。だが、危機は彼が特に回避するので、事故に発展しないですんだ。

 最後には、audioを、やってみる、で採集は終わったが、年賀には、彼らしい文面が乗って、また行ってみる気にも。

 5年前から、3年間、行ってみたが、採集にはならなかった。やはり、危機は、感じるのだ。敢えて、都市内での遊びには、抵抗があり、彼は結構な不良で、とうとう、北海道のオオイチモンジを。


CANCAMの中条あやみ、

shoji's Ownd-kumoma

Λコンデンサの、トーン

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