2月に入って、北陸は豪雪に見舞われている。 都心でも積雪があり、翌日は冷たい雨に。寒さは消えていた。
荻窪の駅から歩いていてもそうかからない、住居には、残っている文のファイルが、沢山の本の一部が置かれていた。その中には、「踊り子」と「雪国」があった。表紙はイラストで、上手い方だと思う。3校の中学は、揃っている、ミニのスカートを採用でもしたか、この冬場でも寒さを見せない強気の少女たちの、ツーショットが普通になっていた。ポイントを使うためにタウンセブンのDPEで、フィルムの現像を。カードは妻が一度使ったきりで、財布の残金は、プリンターのinkように。だが、ようやく入ったINKは問題なく印刷のままにも、「おかしな、機械だ。」 理由は分からないが、さして不便でもない、それでも一応、カラーの確認に、coolpix、NIKONのファイルを、ワープロに、「印刷の濃さ」を最低に。
NIKONの方をmovie用に、smart-phoneがメインになったが、Onkyoのリモコンの使う場合に、不接触で、選曲するように、セッティングしてある、例えば、「5ーrepeat」で、同じトラックを再生する。 JAZZからvocalへ、5版を選んだ。この声も恐らく、島村をそう思わせた。
一階のイスラムの少女は、相宗がいい、そこで、買う機会も多いが、何故か不思議にも見える。美しい目はイスラムの方で、日本はやたら背が高い、そういうことは、あり得ない、穏やかさが潜むモノ、雪が降ったが。僅かに確保された、雑誌には、美しいフォトジェニックの笑顔が、幾分、高身長はいいが、その顔越に、印象の強い目が溶け込む雪の様に静かで穏やかな湯沢にいた。 従妹の医者の家に泊まっていたが、いささか、無礼にも思うが、数十年の間を置いた「雪国」があった。
高山蝶と舞台の趣味は、島村にも似ているが、この6畳間には、残った本の類が下駄箱の横の書棚から移動させてみた。南魚沼郡、大字、湯沢に居た。
風は強いが気温の感覚には、寒さは消えていた。遠のく、美貌の人妻の面立ちは、二人の女性が生む、この少女の街がリアルにする、気温の上昇はデーターには上らないが、春の訪れが、風に、春一番の声さえたまらずに、オレンジはオーバーラップするまま、心にもない湯沢へと運ぶ。webで調べる「雪国」の情報は、医者の言う、「駒子」を加えてみて、執筆の間でもあったことが、虚偽にも映るのだが、日本海側からの逆行の南下で、徐々に近づく、湯沢の情報っは意外な少なさだった。
川端康成の新潮文庫、もう一冊の、「踊り子」も並んでいる。裏手の路を取ってくる描写に記憶の作並温泉の旅館が。 それは、もう遠い記憶だったのかもしれない。
1コメント
2023.02.20 12:42