これは、「国蝶」のオオムラサキの標本です。(個人的保留)採集地は、蝶屋のメッカ、日野春です。他にキベリタテハも、ドイツ箱に、なんかの理由で同じ箱に。箱は、志賀昆虫店で、買った。
ところで、ここにいる、キベリは、3~4月に、越冬から覚めるので、クモマツマキの採集に、
行くと、川原でこれに合う。不思議に、エルはいないのだ。山地性のタテハは、他に、シー、クジャク、フタスジ、ヒョウモン、etc
有名な志賀高原では、高山蝶は採れないのだ。だが、ここでも採集の意味はありうる。それが、研究なのだ。吉祥寺の平山コレクションは、嘗ては、有名だった。
慶応時代に、高山蝶のうち、北アのクモマツマキ、を早い時期に採集。遅れて、ベニヒカゲ、車(スバル360)で、ミヤマシロ、ミヤマモンキを、最後に、南ア、三峰川大横澤出合いで、南のクモマツマキを。5年間かかった。
扇沢ターミナルからの、野心は単独での採集。一回目、失敗。だが、関西人のアドバイスで、翌年に、2名で、扇沢を登った。途中から濃い霧が出て、視界は1mだった。
とにかく、雪渓最上部に。前年の情報は、左側の上部だった。am8、突然に霧が引いた。上にある突き出しにシルエットで、高山蝶(クモマツマキ、Anthocalis-Caldamein)が,3-4匹、明らかにred-balonだった。気品、悪魔性を示す、ゆっくりとした、飛翔は私を、上の草付きへ登らせた。もうひとりは、下の最上部で、白い花(高山植物)、でone-pairを、メスを分けてもらった。これに比べると他の高山蝶の採集は、バカバカしくもあり、オオイチモンジにも触手は伸ばさなかった。
現代に戻って、車を使うことは常識になったらしい。
あいつは、田辺のプロパーに、医者に日野春を紹介して、接待の採集を。
活力は、車をランサーEXに、ハガキ印刷のはしりには、ワープロで、送ってきた。
あれも、「サソリノドジツグ」の1種だったと思う。甘利山、千頭星山へ、クモマベニを。あそこは、木がろくに生えていないので、熱射で、ひどかったと思う。結果は、1匹も採れず。2年周期
で発生する種で乱獲もあって、 後日、高経路で、蝦夷のリメニテスを、多数頭。
一般に、このオオイチモンジを、ドイツ箱3個に、並べて見たいというものだった。
ある妻の趣味で、若い女性と知り合いに、だが18年後の今は、遠いところで、生き続けて
いる。もう、結婚して6年経つ、身長158の、美女系の娘は私を、加藤文太郎へと導いていく。
だが、ひさしぶりに会った。
トラブルかと思ったが、深刻にはならずにいた、後で「美女」だったことを、知って驚いた。
3size 78、54、79のスレンダーで、PCは一応、確保しているらしい。美しい文字には、ひっそりとした、love imittion が。
幸せを祈る。
ファッションは、どう見ても、ヒメチャマダラセセリだが、そういうことで、激怒していたが、今はもう青春は遠くに。
Nikon F401Sと、casioのウォッチのtwo shot。
もちろん、撮影なぞできるわけもないが、これは、選択の最たるものだった。カメラはもう最高の被写体を持つに至った。
これは、フィルムのオートだが、これでも、十分に、勉強になった。
先週の金曜日、coolpixの、手に入る、ものを見つけたが、結局断念。
これが、 いいよ、
この中には、4年間の、100ページの試験報告書が、入っている。結局、¥8万×4で、
termは5daysだった。
因幡の白兎は、コンビニの花だった。
駒沢経だったが、駅伝はどうしたか、2位以下になったが、学力は上がったはずだ。
ハガキはラビンドラ・ダンスクのイラストで、実物もある。
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